里親家庭の暮らし

里親家庭体験記

横浜市の里親さん、里子さんにこれまでの経験や思いを綴って頂きました。

生後4か月で乳児院に入った私は、2歳の冬に里親家庭に入りました。
養子縁組をしていなかった事もあり苗字が違い、小さい頃の口癖が「本当の親じゃないくせに」であった程、反抗的なこどもでした。
今となっては、あの時私を引き取る決断をしてくれた両親にとても感謝していますし、成長においてとても素敵な環境を与えてくれたと思っています。

大学こそ途中で諦めてしまいましたが、今では大手企業に勤めており、充実した生活を送っています。
自立し、離れて生活している今も、沢山思い出すことがあります。
おふくろの味、実家の空気、すべて懐かしく、24歳となった今でもこの家に来てよかったと心から思います。

N.A


私が里親となったきっかけは、妻から里親になろうと思うが私は大丈夫かと聞かれたことです。私には、こどもは社会の宝ものであり、みんなで育てるものだという意識があったので、妻から聞かれたとき何の抵抗も感じず、むしろ当然のことだという気がして大賛成しました。
面会交流、お泊りを経て2歳の誕生日と同時に女の子が我が家にやってきました。彼女がやってきた当時私たちが住んでいたところは、ちょっとした林や小川が近くにある自然あふれる場所だったのですが、彼女を初めて小川に連れて行ったとき、小川にかかる木の橋の欄干に腰掛けさせたら、突然大声で「ムシ、ムシ、ムシー!」と泣きわめきました。どこにも虫などいない、と思ったのですが、よく見ると小さなアリが一匹いました。生まれたときからほとんど施設の中にいて、外に出るときは集団で一緒に行動してきた彼女にとって、アリは怖かったのだと思います。
彼女は身体能力が高く、運動会ではいつも1等でリレーの選手、横浜市の大会に出たこともありました。また、独創的なデザインで絵画や工作をし、表彰されたこともありました。中学に入るとバレーボールに夢中になり、週末も含めて毎日部活に明け暮れていました。エースアタッカーとして活躍し、あちらこちらでの大会によく応援に行ったものです。そして、高校入試に際しては、スポーツが強い学校へのスポーツ推薦での入学を果たしました。
こう書くと高校までの間は、まあ無難に過ごしたように見えますが、どうしてどうして、小学校高学年からの思春期は、一人前にというより、かなりはでに荒れてくれました。毎日遅刻、保健室登校が続き、部屋はゴミ屋敷、部屋に引きこもる等々、いろいろとやってくれました。不登校になりかけたことがありました。
20歳になるとともに、家を出て自立することとなりました。2歳でやってきてから18年間一緒に生活していた私たちの元を離れて、一人暮らしを始めました。アパートの契約や就職先の紹介など、児童相談所のケースワーカーがサポートしてくれましたが、基本的に自分で稼いで、身の回りのこともやって生活していかなければならなくなったわけです。
仕事は、販売員、ソフトウェア会社でプログラミングを習いながらの見習い、居酒屋でのアルバイトなどいろいろとやっていましたが、なかなか長続きせず、よくアパートの管理会社から家賃がまだ払われていないので本人に連絡をしてほしいという電話も来ました。ただ、感心なことに私たちにお金の無心をすることは一度もなく、何とかやりくりをしていました。
そんな中、友達から紹介されたコンビニでのバイトが彼女にうまくはまりました。夜型生活が合ったのか、他のバイトたちが入りたがらない夜間のシフトを積極的にやっていたこと、そしてコンビニの店長さんに可愛がってもらえたことから、やがて社員に登用されました。その後、横浜の店舗で店長に昇格し、最近エリアマネージャーに抜擢されました。
今は、彼女にとって我が家は実家です。ときどき一緒に食事をしますし、お盆や年末年始には必ず家に来ます。彼女が結婚するかどうかわかりませんが、結婚式ではきっと大泣きしてしまうにちがいないと思います。
彼女だけでなく、他に短期・一時保護・フレンドホームで何人かのこどもたちと生活をしました。どの子も今では立派な大人になっている年齢です。時々懐かしく、元気にしているだろうかと思い出しています。

横浜市養育里親 T.A

2015年より里親をしております。
里親になって8年!
8年間で正式委託のお子さんを4人、
一時保護のお子さんを8人、
お預かりさせていただきました。
まだ歩けない赤ちゃんから中学生まで
年齢も性別も様々なお子さん達が我が家に来ました。

各々のお家の事情があり、お預かりする理由は様々ですが、
子ども達はみんな純粋で可愛くて一生懸命です。
私は子どもたちのお世話をさせていただいているのですが、
実は子ども達から元気をもらい、生きる力をもらい、パワーをもらっています。

嬉しいこと、クスッと笑ってしまうこと、ちょっと悲しいことなど、
日々の中でいろいろとありますが、
子ども達のお陰でイキイキと生活させていただいています。

『里親になろうかな』と思ったきっかけは、
メディアから流れてくる悲しニュース(虐待やネグレクト)を見聞きし
「私にも何かできることあるかしら?」と思ったことでした。

幸い、三人の子どもたちも手のかかる年齢ではありませんでしたし、
みんな賛成してくれました。
特に当時10才だった末っ子は、「弟、妹ができたみたい」と喜んでいました。
そして一番協力もしてくれました。
(上の二人はすでに大学生と高校生でバイトに部活に忙しかったので。)

私は何の資格もない平凡な主婦でしたが、
里親になるのに気負った気持ちは特にありませんでした。

子どもたちが明日の心配をすることもなく、
出来立てのご飯を美味しい美味しいと食べ、
温かいお布団で安心して寝ることができる環境なら私にもできるかな、
と単純に思ったからです。

今も委託されている4歳男子のやんちゃぶりにハラハラしつつも、
成長ぶりに感心させられたり、
思いもよらないハプニングでビックリしたり、
時にはかわいい失敗で大笑いしたり、
とお陰さまで毎日楽しく暮らしています。

里親をしていなかったらこんな経験もできなかったなぁと
毎日感謝の気持ちでいっぱいです。

この先も長く里親を続けることができるよう日々の健康に気を付けながら、
気負わず楽しく、里親生活をしていきたいと思っています。
横浜市養育里親 M.H

「おめでとうございます。○○ちゃんが 産まれました。」
10年前、民間の登録先からの突然の電話に体が固まり 声が出なくなったのを今でも覚えています。
実は、この赤ちゃんの前に1歳の里子を4か月半育てました。里子を親元にお戻しした後 ポッカリと心に大きな穴があき、次はずっと一緒にいられる子をと その後ダメもとで民間にも登録しました。児童相談所より早く民間から連絡があり、縁となりました。
生後1週間で授かったこどもは ミルクもよく飲み すくすくと育ちました。同時に私達も こどもに対する責任感と愛情が どんどん大きくなりました。この子が、どんな病気や怪我をしても育てる。当たり前の事ですが、やはり思いは強くなります。
 縁組成立まで 10か月かかりましたが、成立後は本当に肩の力が抜け あんなに一生懸命書いていた育児日誌も書かなくなりました。緊張していたのですね。代わりに、こどもと今度何処に遊びに行こう!ばかり考えるようになりました。
 これから縁組里親を希望される方へのメッセージは とにかく今が1番楽しいです。縁組して後悔は全く無し。子育ては大変です。はっきり言って、うちの子も育てにくい。難しい。でもその分甘えてきたり、笑顔を見た時の喜びは人一倍大きいです。母親になれたことに感謝です。幸せでいっぱいです。 

縁組里親 Y.K.